海鳥
鳥がいました。
海釣りに来たら、波止場の壁のところで釣り糸に絡まってしまって、飛べなくなっていたのです。釣り場ではよく見かける光景です。心無い釣り人が絡んだ仕掛けをそのままにして捨てていくもんだから、海鳥が絡まってしまう。
助けようと思っても、鳥が暴れて余計にケガをさせてしまったり、引っかかれたりすると感染症になるキケンがあるから、釣り人は見つけてもほったらかしにします。
ワタクシも見て見ぬフリをして釣りをしていました。魚を釣って食べようとしているのに、鳥は助けるってのもおかしな話です。
海を眺めながらぼんやり釣りをするのは気持ちがいいもんです。何も釣れなくても物思いにふけることもできます。たまに水面をゴミやら得体の知れない浮遊物が流れていきます。人は結局、海に還っていくんだなと思います。
何時間か釣り糸を垂らしたでしょうか。結局、一匹も釣れませんでした。竿を納めて帰り支度を済ませると、ワタクシはおもむろに鳥に絡まった糸を切ってあげました。
ただの偽善です。夕飯に鳥のカラアゲを美味いと言いながら食べます。ケガをした野鳥は長くは生きられないでしょう。
仕掛けを絡ませて捨てていった釣り人が悪いと思います。ですが、非難することはできません。ワタクシもどうしようもない場所に引っかかってしまった仕掛けを、そのままにして帰ったことが何度かあるからです。
昔から海を眺めるのが好きでした。旅をするのは決まって海沿いの街でした。
学生の頃、バックパックひとつでスペインを旅しました。マラガという小さな港町にやって来たとき、生まれて初めて地中海を見ました。街も海も夕陽に染まる光景は、ただただキレイでしばらく立ち尽くしてしまうほどでした。
ワタクシは海を見渡す小さなバルのカフェテリアでコーヒーを飲みながら、景色を眺めていました。
半分くらい飲んだ時だったでしょうか、ふとカップに小さな虫が飛び込んできてしまい、せっかくのコーヒーがダメになってしまいました。
すると、その様子を見ていた店主の白髪のじいちゃんが、何も言わずにコーヒーを淹れ直して運んできてくれました。ワタクシはまた、おいしいコーヒーを飲みながら地中海を心ゆくまで眺めることができました。
20年くらい前のちょっとした出来事なのですが、なぜか今でも鮮明に覚えています。じいちゃんの優しい顔と甘いエスプレッソコーヒーの香りとキレイな海を、海馬が忘れることを拒否しているのだと思います。
絡んだ糸を切って放してやると、鳥は逃げようともせず、しばらくワタクシの側でじっとしていました。その横でワタクシはいつかのように海を眺めていました。
人の運命を決めるのは、ちょっとした運や偶然の出来事が大きく作用するように思います。明日にでも大きな地震が起これば住む家を失うこともありますし、病気や事故で身体の自由がきかなくなることもあるでしょう。
そんな時、人が鳥と少し違うところがあるとすれば、何かしらできるということだと思います。
生きている限り、仕掛けを放置した釣り人のように、誰かを傷つけてしまうこともあるでしょうし、自分が傷つけられることもあるでしょう。
誰が悪いと声をあげたところで、とにかく声を大きく張り上げた方が勝つような世の中です。ならば、自分のできる範囲で誰かに優しさを届けることが大切なのだと思います。それは偽善であったとしても、良いものになるでしょう。
ほどなくすると鳥は少し先に飛んでいって、こちらをしばらく眺めたあと、空高く羽ばたいていきました。海が少しキレイに見えました。