嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

ブロガー・フライト

「誰もがそうであるように、やりたいことができずにうんざりしていた。そもそもやりたいことが何なのかわからないという状況もあった。つまり、最悪だった。」

 

山際淳司「ポール・ヴォルター」より

平成三十年になろうとしていた。ここは師走の成田空港。人々は心なしか早足で歩いている。その中に一人の男の姿があった。

 

ぱっと見たところひどくやせ細り、弱々しい感じを受ける。足取りもどこか頼りなく不安げな様子だ。

 

格安航空のカウンターは無人化されていて誰もいない。意を決したかのように《彼》は歩みを進めていった。


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バブル崩壊後に訪れた就職氷河期は、若者の将来を氷のように閉ざしてしまった。ある者は派遣社員として、ある者はフリーターとして社会の荒波に揉まれることになった。

 

今日より明日が良くなるとは思えない時、若者達にはすがるものが必要だった。

 

”ブログ”と呼ばれるインターネットに日記を投稿するシステムはそんな中で誕生した。


ブログを書く者はブロガーと呼ばれた。ある者は日記を、また、ある者は鬱屈した感情をそこに垂れ流した。それはある意味、健全だった。

 

しかし、そのブログに広告を貼って収益を得るアフィリエイトが流行り出すと様子がおかしくなっていった。”コタツで時給100万円””誰でもわずか5分の作業で高収入!”などと謳う情報がインターネットや書籍上に溢れた。

 

あるデータによると、ブログで実際に1万円以上の収入を得られる者は全体のわずか数パーセントだった。一番儲けていたのは、ウソともホントとも言えないようなブログで収入を得る方法を販売する者だった。


《彼》の名は国矢眼 介(くにやめ かい)といった。九州の農家の次男坊に生まれ、何不自由なく育った。

 

小さい頃は、どこにでもいる地味で目立たない少年だった。成績は中の下。特に目立って優秀ではなかったが、絵を描くのが好きだった。

 

絵以外の才能はなかったが文章を書くのも好きだった。とても子供が書いたと思えないような難解な文章を書いて周囲を驚かせたこともあった。だが、漢字は書けなかった。教師からすれば扱いづらい生徒だったに違いない。


なんとなく進学した地元の高校でも相変わらず目立たない生徒だった。ある時、国矢眼の体が硬いと話題になったことがあった。

 

それにはある事情があった。中学時代、いじめられるのを異常に恐れた彼は、密かに自宅で筋トレを始めた。自分なりの工夫を重ねて筋肉を毎日いじめ抜く内、肛門括約筋を含む体中の筋肉を鍛え上げていた。

 

「人生で唯一続いたと言えるのは筋トレくらいですね。もう習慣になってしまっているので続けていると意識したこともないくらいです。」と国矢眼は照れ臭そうに語った。自ら編み出した肛門引き締め運動について語る彼は、饒舌だった。


大学は、京都の芸大に滑り込んだ。コレといってやりたいことも見つからなかった。勉強するよりは絵を描いていた方が楽だから、といった感じで進路を決めた。

 

大学の4年間は、下宿と大学を往復しただけだった。就職は大学の就職課に貼り出されていた、京都の小さな染物工房に受かったから、入った。それだけだった。

 

社会人となった彼は、それなりに頑張った。1日12時間労働も若さだけでなんとかなった。しかし、漠然とした不安、誰しもが通るであろう道だとはわかっていても、頭の中のモヤモヤした物が取れなかった。


就職して1年を待たずに、彼は人生で初めて会社をやめた。

 

それから、派遣会社に登録して紹介された工場を転々とする派遣工として働くようになった。社会に対する不安は払しょくできずにいた。心療内科の門を叩いたこともあったが、何も変わらなかった。

 

派遣された工場から1日でバックレたこともあった。とにかく逃げなければならないという強迫観念に囚われていた。原始仏教について興味を持ち始めたのもこの頃だった。


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ブログ界隈は、徐々に賑わいを見せていた。月10万PV達成!先月の収益はついに3諭吉を超えました!ブログサロンに入れば、カンタンに収益アップ!

 

どのブログにも自らを誇示するかのような言葉が並んだ。グーグルという何かわからない巨大な塊に誰もが飲み込まれ支配されていく、そのことに気づいている者は少数だった。

 

ブログを始めたほとんどの者は、2、3記事を書いたところで飽きてやめる。根性が据わっている者で20記事。心に何かを抱えている者は1年続いた。


それ以上、続けられる者は皆無だった。どんな者でも200記事も書けば当たり前のように書くことがなくなる。それ以上記事を書こうと思えば、買ってもいない商品のレビューや、どこからともなく拾って来たネタをチョメチョメするくらいしかない。

 

それはもはや、ブログを書くというよりも作業に近くなる。作業をメインにする者はアフィリエイターと呼ばれ忌み嫌われるようになった。

 

徐々にブログブームの終焉は近づいていた。それは、彼がブログを始める前の話だった。


平成28年、彼は東京の外れにある安アパートにいた。家賃は月3万円。京王線の終点近くにある急行も止まらない駅から歩いて30分程度の崖の上にそのアパートは頼りなく建っていた。

 

「部屋からキレイな景色が見えるんですよ。崖の上ですからね。強い風がいつも吹いていました。だから風の谷って名付けたんですよ。」

 

国矢眼は、東京でタクシードライバーとして働いていた。煩わしい人間関係に悩まないで済み、かつ、手取りのいい仕事を探した結果だった。


3年ほど働いて3百万円ほどの蓄えを作った彼は、タクシー会社をやめて何を思ったかデイトレで増やそうとした。

 

「とにかく働かなくて良ければそれでいいかなと。」

 

 彼はまだ自分が何者かも、何をやりたいのかもわからない状況だった。


デイトレを始めると、みるみる金は溶けていった。さすがに彼もピンチに気づいて市場から退場した。しかし、もう、まともに働く意欲はなくなっていた。

 

「どーせなにをやっても続かないという揺るがぬ不信感というのでしょうか。自分に幻滅していたんだと思います。」

 

国矢眼は、怠惰なのだろうか?ワタクシはそうは思わなかった。人並に働けるし、本を読んで勉強もする。絵を描くこともできる。ただ、自分を生かす場所が見つからなかった。そんな風に感じた。


その頃、彼が何気なく読んだ財テク記事に、目が留まるのは必然だったかも知れない。記事のタイトルには”ブログで楽に副収入!無限ATMの作り方”と書かれていた。

 

彼に守るものはなかった。風の谷の無職と名乗り、ただやみくもにブログを書いた。若い頃旅行したインドの話、工場をバックレた話、デイトレの失敗談。

 

1日最低1記事以上の投稿を8カ月続けた。他にやることもなかった。


しかし、当然のごとくブログを訪れる者はいない。何者でもない彼が適当に金を儲けたいという一心で綴った文章に血は通っていなかった。

 

200記事ほど書いたところで彼も冷静になった。もはや、このブログを全部読む者はいないと思った。そして、その気持ちを”私はもうダメだと思います”というシンプルなタイトルをつけて綴った。

 

何も起こらないと知りながら。


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「ベトナムで日本語教師の職にありつけるかも知れないんです。」

 

いつもは暗い彼が、何か吹っ切れたかのように明るくなっていた。海外で心機一転やり直そうと前向きになったらしい。

 

ベトナムの物価は日本の半分以下、10万円以下の収入でもゆとりのある暮らしができる。これから経済成長することも確実だ。その波に乗ればなんとかやっていけるだろう。


日本であれば当たり前のように受けられる社会保障や老後のことなど、独り身で身軽な彼には問題ではなかった。

 

日本ではないどこかでさえあれば、運が回って来るような賭けにも近い願望。すがることができるなら、なんでもよかった。

 

「ブログは向こうでも細々と続けられれば良いと思います。何か違った物が見えるかも知れません。」明るく笑う彼の表情には、悲壮感にも似た得体の知れないものが漂っていた。


その頃、彼は自らを教祖とした新興宗教を立ち上げるという、ネタなのか本気なのかわからないようなブログを書くようになった。

 

ほとんど誰も理解できないような経典を書いたりもした。彼を知る者は気でも触れたのではないかと思った。

 

しかし、彼のブログすべての記事に目を通していたワタクシには、心情がよく理解できた。もう、自分のブログなど大して誰にも読まれることなどない。ならば、好きなことを好きなように書いてみたくなったのだろう。


それは、ブログをあきらめたことのある者なら、誰しも当たり前のように陥る感覚だったに違いない。

 

ただ、誰とも同じでないことがあるとすれば、そのブログは面白かった。何者でもなかった彼が、時代に翻弄されつつ絶望し、覚悟を決めた一人のブロガーとして独り立ちしていた。その文章には血が通い始めていた。

 

だが、彼は気づいていなかった。自分にブログの才能はないとあきらめていた。いや、あきらめない方がおかしいのかも知れない。


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(光が入った青空-風の谷の無職より引用)

国矢眼のブログには、読者が付き始めていた。検索上位に表示されることだけを目指して、人工知能に好かれようと必死になる者が多い中、逆に彼の綴る文章は光を放ち始めた。

 

もう最悪ではなかった。読者に対して正面から言葉を紡げば、共感してくれる人は必ず現れるだろう。例えそれが収益につながらなくても、彼の目指した何者かにはなれるハズだ。

 

それは、100人の内1人が辿り着けばやっとの場所なのだ。


一人のブロガーが今、空港のカウンターの前でスーツケースを開けて、小汚い服をガサガサと取り出している。どうやらパスポートが見当たらないらしい。

 

この話の続きは、いつかブログで読めるに違いない。

 

 

 

※フィクションです。