白河の夜船
新年おめでとうございます。
夜船に乗ってうつらうつらとしているかのように日々を過ごしていたら、すでに1月も終わりそうな勢いです。一体、ワタクシは年が明けてからナニをしていたのでしょうか?ナニはしていた記憶がありますが、他一切の記憶が抜け落ちております。思えば、旧年中も一体ナニをしていたのか?さっぱり思い出せません。そんなもんです。
さて、夜船で思い出しましたが、白河夜船ということわざがあります。昔、ある人が京都の白河に旅行にいったとウソをついて、どうだった?と人に聞かれて、夜船に乗ってたんでわかんなかったよ~とゴマかしたことから、知ったかぶりをすることを白河夜船というようになったのだとか。
京都の白河(白川)は、哲学の道あたりで船に乗って渡るような川などなく、ただの地名なのでウソがモロバレになるってな具合です。学生時代にたまに原付バイクに乗ってこの辺りを走っていましたが、まぁ静かな住宅街ですね。寺以外は特になんもなかった記憶があります。
かく言うワタクシも今しがたこの話をウィキペディアで調べて知ったので、まさしく白河夜船に乗っているというワケです。
このように適当にここ10年ほど夜船に揺られているかのごとく、浮世を流れておりました。令和に入ってもズブズブと沈んでいくのかと思っておりましたが、プロテインを飲み始めて体調が回復し、向こう岸がうすらぼんやりと見えてきたような気もしています。これを渡世というのでしょうか?喪中本厄で迎えた正月に若干の光明が見えております。蜃気楼でないことを祈るばかりです。
身体が元気になると、心も元気になってきますね。相変わらず先行きは見えませんが、まぁ大概のことはどうでもいいと思えるようになります。嫁にお断りされた程度ではヘコんだりしなくなりました。
尊敬するD・カーネギー先生もその日1日の区切りで生きなさいと説いています。これは将来のことを考えるなという意味ではなく、不安になるなということです。そら貯金もないのにどうやって不安になるなというのか!というツッコミはありますが、心配しても、心を病むまで不安に思う必要はないということです。
実際、ワタクシはここ10年、夜船に揺られながら貯金なしで生きていましたが、特にコレといってピンチになることはなかったですね。不安になってて損しました。たぶん、明日も明後日もなんとかなると思います。そうやってまた来年の正月を笑って迎えられれば良いのではないでしょうか。
本厄?さっぱり気にしていません。ずっと厄年みたいなもんだったので、厄払いに行く気すらありません。明日のことなど誰にもわからないのですから、坊さんに金払ってお経読んでもらってナニがどうなるというのでしょうか?鬼に笑われますよ。
白河夜船には、ぐっすり寝込んでしまうという意味もあります。愛する我が子達は今頃白河の夜船に揺られているのではないでしょうか。何もかも忘れてぐっすり寝るのがいいと思います。ワタクシもプロテインパワーでよく寝られるようになったので、今宵も白河の船着き場に向かおうかと思います。それでは、オチを落語風にシメてみたいと思います。
お後がよろしいようで。