ホンモノの貧困家庭だけど海に来た件
アンニョイな夏休み。嫁にオアシス(スーパー)でショウガを買って来いと言われ、間違えて海に来てしまった。せっかくなので、その様子をレポートする。
適当なことを言っているが、今回はホンモノの貧困にあえぐワタクシが、創意と工夫で金持ちには決してマネできない、家族旅行の楽しみ方を紹介する。実は嫁と娘にどっか連れてけと言われ、仕方なくここにやって来たのはナイショである。
やって来たのは、瀬戸内に浮かぶ小さな離島。大阪から車と船を使って4時間もあれば来れる。ワタクシはこの島をトロピコと呼んでいる。人口は推定3百人くらいだろうか?とにかく人に出会わないのが気に入っている。
この島には漁港と、旅館と商店が一つあるだけで他には、特に何もない。ただ、ゆっくりとした時間とナンニモナイがたくさんある。ちなみにネコはいない。
そういえば神社がある。とりあえず、島にやって来たら散歩がてらにお参りするのがトロピコのルールである。
神社から島を見渡す。階段と海。そこには、なんだか忘れていた夏の風景がある。昔、彼女と行った湘南の海で溺れて死にかけたのをなぜだか思い出した。
本日のお宿。おおよそ築百万年の民家。今にも崩壊しそうな家だが、海から徒歩数秒という好立地である。実は親戚のおじさんの家なのだが、今は誰も住んでいないのでかなり傷んでいる。(おじさんにバレると怒られるので写真を絵画風にしておいた)
家族で泊まる2階の客間。歩くと足の裏が真っ黒になるので、掃除機をかけた。まったく知らないご先祖様の写真と、髪の毛が伸びそうな人形が置いてあるなかなかのお部屋である。このお部屋にタダで泊まれるなんてステキ。
ちなみにカーテンはないが網戸がある。が、網戸に穴が開いているため蚊は入る。よって、ここでは蚊取り線香がないと、ブツブツだらけになるドッキリが仕掛けられている。
ちなみにテレビもエアコンもないが、扇風機は現役で稼働している。というよりも、扇風機がないと死ねる。この壁掛け扇風機が生命線である。夜は窓をすべて開け放ってイケイケで扇風機を全開で回して、「死」は回避できる。スリル満点の夜と、満天の星空をあなたに。
ちなみに布団もあるにはあるが、ほぼ煎餅になっているためクッション性は皆無である。タオルケットには誰かの血がシミになって付いていたが洗うのを忘れていたのだろう。細かいことは気にしない。
言い忘れていたが、風呂もないので、土間でホースから水を出して体を洗う。
というワケで、海水浴場にやって来た。お盆が過ぎて基本的に人はほとんどいない。が、よくわからないオジサンが一人で海に浮かんでいた。このプライベートビーチで日がな一日遊ぶのがトロピコでの過ごし方である。
水着ギャルを眺めたい気持ちもあるのだが、下半身の刺激惹起性多動性獲得細胞(STANDUP細胞)が悪さをするので、ガマンする。
そんなこんなで、娘氏と泳いだり砂で山を作ったりして楽しく遊んだ。
ちなみに泳ぐのに飽きたら、魚釣りもできる。トロピコはグレとイシダイの宝庫である。釣り好きの方は、今、背筋が急にピン!となったであろう。グレは釣り人にとって永遠の憧れ的存在なのである。
波止場から下を見ると、グレがグレてムレてうようよしている。エビをハリにつけて垂らせば一瞬で掛かる。まさに入れ食いならぬ入れグレ。
小一時間もやれば、今夜のオカズが調達できる。ワタクシは嫁がそうであるように小物狙いなので、釣れたのはちっちゃいのばかり。が、味と形は大きいのとまったく変わらないので、煮魚にしておいしくいただいた。
ちなみに、夜は家の前の港から釣り糸を垂らせば、小アジが釣れる。なので、朝食は焼きアジ定食が腹いっぱい食べられる。
こんな感じで2日ほど遊んできた。写真は娘氏と嫁氏が写っているのばかりなので、こんなもんで限界かと。
実際のところ、エアコンがないのでアラフォーのワタクシには、体力的にキツイのであるが、島からなんだかオーガニックな元気が貰える。
暑ければ海に入ればいいし、腹が減ったら釣りをすればいい。暗くなったらテレビもないから寝る。嫁を抱いてもいい。朝が来たら、カーテンがないのでまぶしくて寝てられない。起きて神社にお参りする。
ないならないで、潔くあきらめる。でも、何もないことを精一杯楽しむ。ホンモノの貧乏人はこの姿勢で生きなければならない。実際、金があっても買い物をする店がないので、何も買えない。だが、自然は皆に平等に接してくれる。
ワタクシは、真っ黒に日焼けして、魚を手掴みできるようになった娘氏を見ながら、こんな生き方にこそ幸せを掴むヒントがあるような気がした。
D・カーネギー先生の名著「道は開ける」にも、こんな記述がある。
「あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ」。
「道は開ける」131ページより引用
何も努力を怠れという意味ではない。避けようのない運命に抗うよりも、受け入れた上でそこから新しく創造しろという意味である。
漁師は海が荒れている日は、決して漁に出ない。自然に抗ったところで死ぬだけである。ワタクシは漁師と同じくネットの海の釣り師として、ひもじさに抗わない。その内、晴れる日は必ずやってくる。その日のために、ネタを仕込むのが正しい生き様だ。
今月からマスオ生活も始まり、姑氏による婿いびりは毎日、激しさを増している。嫁は実家なので、さらに家事をしないようになった。ワタクシの人生はさらなるハードモードに突入している。が、トロピコでのゆっくりとした時間は束の間の癒しを与えてくれた。
海は与えもするが奪いもする。ブログを書きながら、ネットの海にアマゾンほしいものリストを公開しようかと思った夏の家族旅行であった。
おかげさまでお知らせを除くと、この記事が100記事目となる。ひたすらに時間を奪われただけだったが、これからもここら辺の海をゆっくり漂流しようかと思う。