嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

嫁のパンツを手もみ洗いして、光にかざした件

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ルイス・キャロルの児童小説『鏡の国のアリス』に登場したハンプティ・ダンプティは、塀の上に座りながらアリスに話しかけ言葉についての解説を始める。 

 

「その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだよ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね。」


wikipediaより引用


アンニョイな休日。珍しく労働に励んでいる。というのも、衣替えの季節を迎え冬物の洗濯に忙しいのだ。ご存知ないかも知れないがワタクシの本業は洗濯夫なので、真っ先にやらなきゃならない仕事だ。

 

というワケで、ネッコと娘氏の嫌がらせを受けながら、冬布団を洗濯して夏布団に替え、ネッコ氏愛用の毛布を剥ぎ取りコロコロをかけたりと大忙しである。

 

そんなワタクシの邪魔をする第三の襲撃者、BBA(姑)がここぞとばかりに自分の冬布団も洗濯しろ!と持ってきて現場は混乱している。もう、洗濯物を干すスペースがないのだ。


やむを得ず布団を車に積んで、コインランドリーに向かう。マシンに布団をブチ込んでスイッチオン。その隙にホームセンターで買い物をして慌てて戻って来て、”よっこいしょういち”と布団を取り出すとスグに異変を感じた。いや、異臭だ。

 

クサイ。なんか”すえた”ニオイがする。ワタクシの記憶の中にあるのは、デイサービスで働いていた時に、利用者サマから漂ってきた加齢臭である。が、「まぁいいや、自分のじゃないし」ということで帰宅することにした。

 

嫁に確認したところ、BBAの冬布団は10年以上洗濯していないらしい。そうですか。


ここ数年、洗濯ばかりしているが、気持ちのいいもんだと思う。娘氏のかわいいプリキュアのパンツやBBAのババ色パンツ、嫁の巨大なマタニティパンツと洗濯物のバリエーションも増えて家族が毎日何をしているかよくわかる。

 

娘氏の靴下は最近、泥だらけになるようになった。たぶん、幼稚園で裸足で走り回っているのだろう。洗濯するのは大変だが、元気がいいのは良いことだ。

 

靴下にハイターをシュシュをしていると、尊敬するD・カーネギー先生の名著「道は開ける」に書かれていた話を思い出した。


生まれた時からほとんど全盲の状態で生きてきたある女性がいた。彼女が52歳を迎えた時、奇跡が起こる。手術によって以前の40倍も目が見えるようになった。そんな彼女が台所で皿洗いをしている時の気持ちを綴った本の一節が引用されている。

 

私は白いフワッとした洗剤とたわむれ始める。手を入れて、小さな洗剤の泡をすくい上げる。その泡を光にかざすと、その一つ一つの中に小さな虹の美しい輝きを見ることができる。

 

「I Wanted to See」Borghild Dahl著(1944)より引用

 

この女性の話を詳しく紹介しながら、カーネギー先生はこんな風に綴っている。

 

私たちは自分をもっと恥じてもいい。私たちは明けても暮れても美しいおとぎの国に住みながら、目をふさいで見ようともせず、見あきているためにそれに喜びを感じないのだ。

 

「道は開ける」218ページより引用

世の奥サマ方はこれを読んで何を思うのだろうか?

 

  • 旦那の稼ぎが少ないと文句を言いながら、アマゾンで高いブランドモノのレインシューズをポチる。
  • 大して頑張っていないのに、自分へのご褒美としてデパ地下でクソ高いベイクドチーズケーキを買って三時のおやつに自分だけ食べる。
  • しっかり昼寝をして、やっと買い物に出かけたと思ったら、スーパーでママ友に会って30分以上立ち話をして、夕飯は手抜き。

 

あなたはもっと自分を恥ずべきだ。

 

ワタクシもネタにしかならないブログを綴っている自分を恥じ、もっと仕事をしようと思う。嫁のパンツを手もみ洗いして、光にかざしながら喜びを感じよう。


洗濯の”濯(すす)ぐ”という字は、水で洗って汚れを落とすという意味の他に、身に受けた恥や不名誉を取り除くという意味も持っている。

 

洗濯をしながら、皆さまが自身の汚れた心を洗い濯(そそ)ぎ、恥を濯(すす)がれることを願って止まない。手についた泡を光にかざさなくても、言葉も気持ちも選ぶことができるおとぎの国に住んでいるのだから。