シングルベッドで夢と嫁を抱いていた件
愛する嫁と出会った頃、ワタクシはバイトしていた介護施設で寝泊まりしていた。従業員の休憩室みたいなところに、利用者さんが倒れた時用の折り畳み式簡易ベッドがあったのでそれで寝ていた。
施設が休みの日は、そのベッドで嫁とくっついて寝たものである。シャワーなんかも介護用のがあったので介護プレイをして愉しんでいた。
そうこうしている内に、介護施設で新しい命が宿ることになる。
結婚して新居を構えイケイケなワタクシは、イケアでセミダブルベッドを買った。ベッドが大きくなると逆に嫁とはくっついて寝なくなった。腹が大きくなって物理的にくっつけなくなっただけなのか、心の隙間ができたのか知ったことではない。
ほどなくして誕生した娘氏は、親戚から譲ってもらったベビーベッドを使っていたが、あっという間に大きくなって、セミダブルベッドの真ん中を占拠するようになった。
娘氏の寝相が悪すぎて、徐々にベッドの端に追いやられることが多くなったそんな矢先、ワタクシが公園でネッコを拾ってしまった。ネッコ氏は毎晩、ワタクシの枕元で寝るようになりベッドの上はカオスな状態になった。
ガマンが限界に達した昨年、嫁の実家に引っ越してきた。ここで故・舅氏が息を引き取ったニトリのシングルベッドを手に入れ、イケアのベッドと並べて広大なベッドスペースを手に入れた。
大きくなった娘氏にもちろんニトリのベッド当てがって、昔のように嫁とくっついて寝る環境を取り戻した。束の間の平和を取り戻したかに思えたが、しばらくすると、なぜかまた嫁のお腹が大きくなってきた。
そして、この夏、我が家におっぱい吸うマンこと息子氏が加わった。すると、嫁は、セミダブルベッドを放棄して、昔使っていた自室のシングルベッドで寝るようになった。さらに娘氏は、嫁の後を追うようにしてワタクシの側から離れていった。
こうしてセミダブルのベッドには、ワタクシとネッコ氏の二人だけになってしまった。
やけに広く感じるようになったベッドは、ワタクシもネッコ氏もなぜだか余計にさみしく感じてしまうようである。秋という季節も人肌恋しくさせるのか。
涙で枕を濡らしながら物思いにふけっていると、ベッドサイドには見慣れた一冊の本があった。「人を動かす」と題された本を開くと、このようなことが書かれていた。
世のなかには、他人の関心を引くために、見当ちがいな努力をつづけ、その誤りに気づかない人がたくさんいる。
これでは、いくら努力しても、もちろんむだだ。人間は、他人のことには関心を持たない。ひたすら自分のことに関心を持っているのだー朝も、昼も、晩も。
「人を動かす」74ページより引用
この一節は、意識して読まず流し読んでしまうと重要な気付きを逃してしまうことになる。
よくよく考えると、ワタクシは嫁をその気にさせようとお尻をなでなでしたり、耳元で「わかってるよ♡」と呟いたり、お値段以上、ならぬ、異常なおねだりをしたりして見当違いな努力を続けていた。
そして、当然のことながら空振りを続けて、打率は低迷しスランプに陥ってしまっていた。ワタクシが自分のバットを振り回す前に、嫁の大好きな真ん中高めのストレートを投げ込むピッチャーにならなければならなかったのだ!
D・カーネギー先生は本書の中で、言葉を変え例を示し何度も同じことを説明している。
「釣り針には魚の好物をつけるにかぎる」同50ページ
「だれも彼も、われわれ同様、自分のことでいっぱいなのだ。」同51ページ
「中国で百万人の餓死する大飢饉が起っても、当人にとっては、自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。」同129ページ
特に夫婦生活のこととなると、イチゴミルクで魚を釣ろうとするような人が多くなる。さらに悪いことには、釣れないのを魚のせいにしてキレる人の多いことか。
よく自分の胸に手を当てて、釣竿につけているエサがナニか考えてみるといい。うすうすなゴムをつけるのはその次の話だ。
寂しさに震える手で名著を閉じたワタクシは、再び自信を取り戻していた。色んな意味で成功のある日々を取り戻す。
次は、パラマウントベッドならぬ、パパマウントベッドとかつまらないことばかり考えるのはもうやめよう。
姑の妨害、ババのマウントにも負けず、ただひたすらに「嫁を動かす」。当面は、ベッドルームをキレイに掃除して、逃げた魚が戻ってくるのを祈ることにしよう。