嫁がこどもちゃれんじをやめてくれない件
アンニョイな午後。インターホンがなる。ピンポーン♪「郵便局ですが、ポストに入らないお届け物で~す。」
これだけで何が届いたのかわかる。娘氏が1歳の頃から頼んでいる、こどもちゃれんじの知育おもちゃやら絵本やらである。
挑戦的に生きている父としては、挑戦したいならすればいいんぢゃね?ということで、始めることに同意した記憶がある。当初は娘氏も、毎月届くしまじろうのぬいぐるみやら絵本やらを楽しみにしていたし、よく遊んでくれていた。
しかし、一昨年くらいからプリキュアが彼女の中で大きなウエイトを占めるようになり、まずDVDを観なくなった。仕方ないので、ワタクシがDVDに出てくるオネーサンをじっくり観るようになった。
そして、去年くらいからはおもちゃで遊ばなくなった。もしくは新しく届いても1、2度遊んだだけで飽きてしまうようになり、押入れの肥やしになるようになった。仕方ないのでワタクシが奥の方に片づけた。
さらに最近は、キッズワークというひらがなの練習や切り絵やらのワークブックをしなくなった。仕方ないのでワタクシがやっている。
なので毎月2千円を払って、しまじろうの絵本を読むだけの状態になってしまったというワケだ。娘氏もスイミングやそろばんを習い始めたので、仕方ない部分はあると思うけど。
ワタクシとしては、もう娘氏も自分で興味のあることにチャレンジできる歳になったので、こどもちゃれんじは必要ないと思う。
ついでに、しまじろうの英会話教材を追加で取るように、しつこく勧誘の電話がかかってくるので鬱陶しいことこの上ない。
そんなわけで、2年くらい前から嫁にもうしまじろうを頼むのやめたら?とやんわり提案し続けている。が、とにかく嫁が断固としてやめようとしない。
個人情報お漏らし事件の時も、ここがチャンス!とやめることを提案したのだが、なぜか嫁は寛大な心でしまじろうを許してしまった。ワタクシにももっと優しく接していただければ幸いである。
この4月も新年度の切り替えの時期だったのだが、ワタクシに相談せず1年分を払い込んでしまったようだ。
思い悩んだワタクシは、いつものように尊敬するD・カーネギー先生の名著「人を動かす」を開くことにした。
自己の重要感を満足させる方法は、人それぞれ違っており、その方法を聞けば、その人物がどういう人間であるかがわかる。自己の重要感を満足させる方法によって、その人物の性格が決まるのである。
「人を動かす」37ページより引用
なるほど。つまり嫁は、しっかりと子供を教育することで、ちゃんとした親であるという自己の重要感を満足させているということか。
嫁は基本的に家事をしないので、最近、子供の習い事関係にやけに必死になっていると思っていたのだが、そういうことなのだろう。ということは、他に嫁が自分の重要感を満足させることが見つかればいいのではないだろうか?
よくセックスレスの奥さんが教育ママになると言われるが、女として満足できなくなったから教育ママになるのか、教育を受けさせることに満足してセックスレスになるのか。どっちが先かはどうでもいいが、そういえば我が家も最近、夫婦生活がないような気がするが気のせいだろうか。
といっても、浮気やギャンブルに走るよりは教育に熱心になる方が健全と言えば健全なのでそこまで気にすることもないと思われる。
とにかく、嫁の重要感を満たしてあげればいいということで、昨晩も家の中で嫁のラインに「わかってるよ♡」とお誘いしたのだが、既読スルーされてしまった。
ワタクシの”おとなちゃれんじ♡”はまだまだ続きそうである。
人は歩みを止めた時に、そして、挑戦を諦めた時に年老いてゆくのだと思います。
アントニオ猪木