嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

自転車から手を離さないでほしい件

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アンニョイな9月。少し過ごしやすくなったが、誰もがそうなんだろうけど、ワタクシも若干この時期を苦手としている。夏が終わるもの悲しさやらなんやらで、昔からメンタルが不安定になってしまう。

 

キンモクセイの香りが漂ってくると、もう、かなりアブナイ。といっても、日々の自己啓発のおかげで昔のようにどこかに消え去りたい衝動とは折り合いがつけられるようになっている。大丈夫、何も装備してないけど問題ない。

 

そんなワケで、家に引きこもっていても仕方ないので、いつものように娘氏と近所の公園に自転車の練習に出かけることにした。


今年に入ってからコマ無しで乗れる練習を続けているが、娘氏は未だに上手く乗れるようになっていない。ワタクシに似て飽きっぽいのと、コケるとすぐに心が折れてやる気を失くす性格が災いして、さっぱり上達しないのだが、本人はあまり気にしていないのが幸いである。

 

本日もワタクシがひたすら自転車の後ろに付けているバーを持って支えた状態で、乗れている気分になっている。だが、そろそろ親として子を谷に突き落とす非情さも持たねばならない。

 

いつものように、バーを持っているフリをしつつ、フラフラと進む自転車から手を離してみる。

 

 
ちゃんと持ってる?
 
持ってるよ~!
 
ホントに持ってる?
 
持ってる持ってる!

 

お約束の作戦で、娘氏はグングン進む。いつもは5メートル進んだら足を付いてしまうのに、10、20メートルと進んでいく。そこらで、娘氏が後ろを振り返ってしまうと、支えていないのがバレてすぐにコケてしまう。

 

 
天才!自転車界に新星現る‼
 
ちゃんと持っててってゆうたやん!
 
イケる!もう持たなくてもイケる!

 

と、親バカ丸出しで練習をして、だいぶ一人で乗れるようになってきた。娘氏がスイスイ進めるようになった姿を眺めながら、このお約束の作戦がなぜ効くのかふと疑問に思った。


単純な話だと、支えてもらっていることで恐怖を感じず、緊張がほぐれて上手くいくという話なんだろう。ならば、その感覚を持続させることができれば、自転車に限らずなんでも上手くやれるハズだ。

 

尊敬するD・カーネギー先生の名著「人を動かす」には、そのやり方がいくつも書かれている。ほめて、激励して、期待をかけて、またほめてと。今まで、何個もやり方を紹介してきたし、上手くいったことも多かった。

 

だが、それ以上にテクニックでは作れない安心感みたいな感情が作用しているように思う。そのことについては、「人を動かす」に何度も登場するアルフレッド・アドラー大先生が詳しい。

 

人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力がないからではない。能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう”勇気”がくじかれていること」が問題なのだ

 

「嫌われる勇気」202ページより引用

なるほど。ぢゃあ、勇気づけるためにどうすればいいのか?という話になるんだけど、

 

「人は自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」。

 

同205ページより引用

と、ある。ぢゃあ、どうすれば価値があると思えるのか?という話になると、家庭や学校など共同体の中で何か自分が貢献できていると思えた時だそうだ。

 

なんだか難しい話になったんだけど、平たくいえば誰かに何かをして単純に「ありがとう。」と言われた時がそんな時だよんと書かれている。

 

つまり、日頃から小さな子供でも、お手伝いをしてくれてありがとう!みたいな経験をしていると、共同体の中にいる安心感が育まれて、勇気を持って何事にも挑戦できるようになるんだよ!というワケだ。


初めてアドラー先生を引用してみたんだけど、なんだかわかったようなわからないような。でも、説明したかった、なんだか誰かに後ろで自転車を支えてもらっているような安心感を説明できたかな。

 

ワタクシも殺伐としたはてな村という共同体の中で、石を投げられながらも何かしら貢献できているかとは思う。ブログに公開している欲しい物リストから何人もオムツを贈ってくれた。ありがとう。

 

「ありがとう」と誰かに言うことで、言われた誰かは勇気を持って自転車に乗れるようになる。誰かが支えてくれているかのように。


なので、家では嫁さんにありがとうを連呼することが幸せへの近道となる。感謝することがないと嘆かなくても大丈夫。アドラー先生は、存在自体に感謝しなさい!と説いている。

 

例えば家族が事故で重傷を負って死にかけたとしたら、とにかく生きててくれてありがとう!と思うでしょ?と。

 

なんで死ななかったんだ!と思う場合は、何か完全に間違っているので考えないとして、普通はそうだろう。


結局のところ、自分の理想の嫁さん像を求めると文句も多くなってくる。だから、家事をしなくても今日も元気に生きてくれてありがとうと思いなさいよ!という話なのだ。

 

うむ。しっくりきた。そんなこんなで明日も家事も育児も仕事も頑張ろうかと思う。あまり嫁には感謝されないんだけど。

 

ところで誰かワタクシのチャリを後ろで支えててくれないか、生きるのにフラフラで倒れそうなんだ。