嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

キッザニアで今後の身の振り方を考えた件

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新卒で入社したブラック企業の総合職をクビになって、もう10年ほどになる。そのまま実家に引きこもってホームページを作り始め、なんとなくフリーランスになった。

 

最初は生活するだけ稼ぐこともできなかったので、ピップエレキバンみたいなシールを百枚数えて箱に詰める軽作業やら、介護施設でのトイレ掃除バイト、介護タクシーの運転手なんかもやって生き延びた。

 

それからチラシやら名刺のDTPデザイン屋も始めて、選挙ポスターのデザイン屋になって、人には言えない仕事(合法)もちょちょっとやって、ウェブ屋でのんびりやるようになって絵本作家デビューして今に至っている。ワタクシの職業はデザイナーか介護士か、ハイパーメディアクリエイターか、そんなところかな。


アンニョイな午後。最近、仕事がさっぱり干上がってしまい無職状態なので、新しい職を求めてキッザニア甲子園に行くことにした。平日の夜の部という微妙なタダ券を嫁が友達からもらい、行かなきゃ損ということで出かけたんだけど。

 

受付を済ませて降り立ったキッゾタウン?、さっそく何屋になりたいか娘氏に聞くと、パン屋がいいとのこと。なるほど、ジーチャンの職業である。血は争えないことを確信して、さっそくパン屋さんに挑戦する娘氏。

 

最初は緊張していたようだが、服を着せられて少し背筋がピンとして、楽しそうにパンを作っていた。ワタクシも娘氏と同じくらいの頃から、トーチャンの横でパンを作ったもんである。なんか泣きそうになりながら遠い目で娘氏を眺めていた。


続いてペンキ屋やボイラーの修理屋と渋めの職業に果敢に挑戦して、とても満足そうに給料を受け取っていた。なぜか化粧品やらキャビンアテンダントといった女子に人気の職種には興味がない様子だった。

 

娘氏には、決してブロガーやユーチューバーを目指さず、地味でも手堅い職についてほしいと思う。でも、無職になった時のため、家でゲームをしている父の背中もしっかり見ておいてほしい。世間の冷たい視線にも負けず開き直るのが大切だ。

 

近くでずっと娘氏の様子を観察していたが、とてもいい顔をしていて嬉しくなってしまう。本来、仕事は楽しいもんだと思う。毎日のように会社が火事で焼失していることを願っていた勤め人時代の自分を思い出して少し反省した。


尊敬するD・カーネギー先生の名著「人を動かす」にもこのような記載がある。

 

「まるでどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、それによって成功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取っ組みはじめると、もうだめだ。だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗してしまう」。

 

「人を動かす」94ページより引用

ここで先生が何を言いたかったのかと言うと、純粋に仕事を楽しめというよりも、一緒に仕事をしている人と楽しくやれる人が成功するんだよということ。

 

ワタクシも人格破綻者の上司に毎日のように精神攻撃を受けて、復讐することばかり考えていたが、それが間違いの元だったということだろう。どこで働こうと嫌な上司の一人や二人は必ずいるもんだから、結局、そういう人ともうまく付き合えるコミュ力を養わなければならなかったということだろう。

 

今は嫁や姑の精神攻撃に遭っているが、昔よりかは上手く立ち回れるようになったと思う。相手に自分を楽しませることを求めるのではなく、まず自分が相手と付き合って楽しむ必要があるということなのだろう。


名著「人を動かす」を読んで脳内革命を起こす前は、嫁が怖くて家に帰らなかったが、最近ではほとんど家にいて楽しくやっている。

 

BBA(姑)の小言攻撃に遭っても右から左に受け流し、阪神の藤浪の今後について話題をそらす技も身につけた。

 

家庭では決して自分から不機嫌をまき散らしたりしなくなった。周りも不機嫌になって自分にさらに不快な火の粉が降って来るから。そうしている内、怒声と奇声が響いていた我が家には、笑い声が響くようになった。


家に帰ってそのまま風呂にも入らず、ワタクシのベッドで寝てしまった娘氏の寝顔を眺めていると、寝ながら声を出して笑っていた。

 

平日の夕方から娘と遊びに行く父親という職業も悪くはないと思う。家庭に笑顔をもたらすことが仕事だ。

 

が、収入の方がさっぱりなので、そろそろ近所にできた老人ホームの面接にでも行かなきゃいけないと思う今日この頃である。