オカマを掘られて最悪の事態を受け入れた件
社会人になって初めて買った車は、10万年落ちのトヨタのスターレットGTターボという中途半端なスポーツカーだった。
この車にはターボボタンがあり、ポチッとするとエンジンの回転数が上がって速くなるという所に、厨二心をくすぐられて思わず買ってしまった。スターレット=小さな星という名前も、まだ自分の輝く未来に夢を抱いていた青年のワタクシにピッタリだった。
しかし、その車は納車された次の日にエンジンルームから異音と白煙をあげ、中古車屋と大揉めに揉める騒動を巻き起こすこととなる。
アンニョイな午後。いつものようにバイトに先に向かって車を走らせ、鼻毛を抜きながら信号待ちをしていると、”ゴツッバキッ”という大きな音が後方から響いた。
何事かと思って後ろを振り向くと、バイクがワタクシの愛車ポルポル君のお尻に突き刺さっていた。
運転していたニーチャンが手を垂直に顔の前に立てて、ゴメンポーズをしながら、そのまま走り去ろうとしていたので、パニックになって車の外に飛び出しチョチョ、チョット待てお兄さん!と、思わず古いネタを出してしまった。
ワタクシが全身キタナイ作業着にサングラスというややこしさ満点のカッコをしていたからかどうかは知らないが、ニーチャンがバイクを停めて警察を呼んでくれるということで冷静さを取り戻し、とりあえず
と思ってもいないこと言った。
何が起こったかと聞いたら、なんのことはない話でニーチャンが割り込んできた車に気を取られて前を見ておらず、普通に信号待ちをしていたワタクシの車に当たってしまったらしい。
本人も全面的に自分が悪いと非を認めて頭を下げてくれたので、
と言うので胸を撫でおろし、その後キレたりもせずにウルトラレベルのやさしい態度を取ることができた。
が、数分後に
と言い出し、地獄に叩き落とされることになる。
絶望感に苛まれながら、ノコノコと到着した警官に
と無表情で対応しながら、自分の中でもう諦めるという決心を固め、菩薩の心を準備していた。
事故に慣れていない方のために説明すると、ニーチャンは任意に入っていないので、もちろんすべて自腹で修理代を払わなければならない。
まず、一番の心配はニーチャンが修理代を払ってくれないというパターン。
事故の直後はちゃんと払いますと言っていても、その後、そもそも金がなかったり、連絡が付かなくなって逃げられるということがかなり高確率で起こる。
今回のように修理代が多くても10万20万程度であれば、バックレられても被害者が弁護士を使って取り立てを頼もうものなら費用が修理代以上にかかって、結局マイナスになるので、自分で修理した方が安くつく。
警察も民事不介入の金看板を持ち出して何もしてくれない。これも、以前ヤカラにサイドミラーを折られたのに、なぜかワタクシが頭を下げさせられるという経験から、嫌というほど思い知らされた。
加害者の方も保険屋を挟まなければ、後から被害者が首が痛いとか、仕事を休んだとか言われ延々とお金をむしり取られるという地獄に陥るキケンがあるので、キレイにバックレるという方向に傾きやすい。
少し知っている悪い友達なんかにニーチャンがそそのかされたら、必ずこのコースに突入する。金が絡むとコロッと態度が変わる人間を嫌というほど見てきたワタクシにはこのコースしか見えない。
特にワタクシが、西成の方のなぜか毎日整形外科に並び、通院して保険屋に慰謝料を請求するお仕事をされている、身体はとても元気そうな生ける屍のような人々をよく眺めているからだろうか。
他にも修理代が高すぎ君となり揉めるパターンや、友達の怖い顔の人が間に入ってくるというパターンなんかも大いにありえない?アリエールでしょ。
どちらにせよ、もう不幸な未来しか見えない状態となったワタクシは、尊敬するD・カーネギー先生の名著「道は開ける」を開くことにした。
数えきれないほどの人々が怒りと混乱のために自分の人生を台なしにしてしまったが、もとはといえば最悪の事態を受け入れようとしなかったからである。
「道は開ける」47ページより引用
なるほど。さっき菩薩の心を準備していたと書いたが、この教訓をワタクシは実体験からすでに実践していたのでよくわかる話である。
というのも、初めて買ったスターレットの契約の日から最悪の事態は始まっていた。
価格交渉を2時間ほどして購入を決め、緊張しながら契約書にハンコ押したり、保険やローンの申し込みをして、さてそろそろ終わりかというところで中古車屋のニーチャンが契約書に【修復歴あり】 のハンコをコッソリ押しているのを発見して、ブチギレてケンカとなる。もちろん、それまで修復歴ありとは知らされていない。
怒り狂いながら諦めて買ったはいいが、納車2日後に白煙をあげ、返品する、いやできません!とさらにケンカとなり1か月以上揉めて結局、返品できずに適当に修理されて押しつけられる。
その後、ちょうど1年保証が切れたくらいでエアコンがおかしくなり、近くの修理屋に持ち込んで修理の見積もりをお願いしたら、1週間後に
と、車を買った値段と同じ修理代を請求され、今度は
と、また大揉めに揉める。結局、少し割り引かれて20万以上払うことになる。
そして、そのまた1年後のある日、走行中に何の前触れもなく、ぶつけた記憶はないのになぜか入っていたラジエターの亀裂からドリフのコントのように白煙を噴き上げ、スターレットは星クズになった。
煙をあげながら空に昇っていく初めて買った愛車に、必死にバケツで水をかけながら、ワタクシは深く心に誓った。
もう決して車のことでキレたり揉めたりしない。
とにかく、揉めることで受けるメンタルのダメージとかかる時間に比べて、得られるメリットがほとんどないことに気付いたのだ。
揉めればとにかくダマしたアイツをなんとか懲らしめたいと、被害感情をこじらせて変な妄想や、復讐の計画を考えてさらに無駄な時間を使ってしまう。
徹底的にやろうと裁判沙汰にしても、金がかかるだけでマイナスにしかならない。時間と労力もかかる。揉めることでメンタルが傷つけば自分の睡眠時間や体力が削られ、身体的ダメージも受ける。
そして、揉めたところで節約できるのはせいぜい数万円払わずに済む程度。とにかく割に合わない。揉めるくらいなら最初から自分の心の平和のために、自分が悪くなくても数万円払う方がよっぽどマシである。
つまりは、カーネギー先生の言う通り最悪の事態をなんとかしようと、もがくのではなく、受け入れるという姿勢が正解なのだ。
今回の事故ならば、最悪の事態は、ニーチャンがドロンした場合。車を自腹で修理して10万円程度、自分でキレイに磨いてスプレーでもシュシュしておけば数千円だろう。現場検証で時間は取られたが、たかだか2時間程度だ。
これ以上の最悪の事態があるとするならば、ニーチャンと揉めて裁判沙汰になることくらいだろう。そんなことになるくらいなら、ワタクシがこの場で逆にお金を払ってでも終わらせる方が賢い選択だ。
笑うかも知れないが、ワタクシの知り合いで不幸にも黒塗りの高級車に停車中に後ろから突っ込まれ、谷岡に「そこに停まっていたオマエが悪い」と修理代を請求され警察沙汰になった話を聞いたことがある。笑い話ではないのだ。
とにかく、日本の車を取り巻く売買やら保険、税金、事故処理、交通違反、車検、免許の更新なんかも含め、社会システムがクソ過ぎる。ことあるごとに、善良な市民にメンタルの負担を強いているような気がしてならない。
ゴネたヤツが得をして、あおり運転をする意味不明なフミオ界の面汚しみたいなのを生み出しやすい構造を作り出してしまっているのではないだろうか?
すべてハルオサンがいた組織が利権化して滅茶苦茶にしているような気もするが、話が大きくなってしまうのでもうやめておく。が、とにかく、「中古車屋はウソしかつかない。」これは我が家の家訓としている。
話を戻して、任意保険に入っていないニーチャンにワタクシは、
と、払ってくれないだろうなと思いながら、清々しく気持ちを伝えた。
事故するのはお互い様、時間を取らせたのもお互い様じゃないですか、後腐れなく終わりにしてしまいましょうよとも。頭も下げてもらうこともないし、ワタクシもややこしいことを言うつもりもないので安心してくださいと、丁寧に伝え、連絡先を交換して事故現場を後にした。
その後、頻繁にお世話になる激安修理屋に安めにしてやってくれとお願いして、一般的な修理代よりも安いと思える良心的な見積もりをもらい、ニーチャンに連絡したらちゃんと電話に出てくれて、修理代をスグに振り込んでくれた。
口座を確認しすぐにニーチャンに連絡して、
と心からの感謝を伝え、この事件は発生から1週間経たずに少なくともワタクシはメンタルに一切ダメージを受けることなく処理することができた。
もしワタクシが、事故現場で怒りに駆られて
などと発言してしまっていたら、結果は大きく変わっていたように思う。スケベ根性を出して、数万円乗っけた修理代を請求したりしても、結果は変わっていただろう。
若かりし日に払った代償を、ワタクシは無事に回収したのだ。
それもこれも、車に関わることでは決してキレない誓いを守っていたことが功を奏したのだろう。
もちろん、金銭的に損をしたこともある。前の車は、会社の前の駐車場に停めていたところ、ぶつかった音がしたので見に行くと、オッサンがなぜかバックで突っ込んだらしく、前のバンパーに傷がついていた。
というオッサンに、ワタクシが誓いを守って優しい態度で、
と言ったら、その瞬間、猛ダッシュで車に乗ってオッサンはズラかって行ってしまった。
案の定、ワタクシの車はエンジンをかけても動かなくなっており、そのまま廃車となった。その時も、オッサン見逃してもらえてよかったね、と事態をありのままに受け入れてキレまくってオッサンを探すようなことはしなかった。それでワタクシは、良かったと思っている。
30万程度の車が廃車になったという最悪の事態以上の事態をワタクシは、自分の感情や行動をコントロールできたことで生み出さなかったのだ。逆にオッサンは、その時、車に乗せていた子供から軽蔑され、現場の道も通れなくなり永遠に苦しまなければならないだろう。高い代償を結局払わされているのはオッサンなのだ。
取り留めもない話になってきたが、ワタクシが何を言いたかったのかいうと、この最悪の事態を受け入れるという教訓はとても有用だということ。
このブログには毎度のことながら、嫁とのアンニョイな日々を綴っているが、嫁との関係にもこの教訓を使えるということに今、気付いた。
毎日、毎日、嫁のことで気を病んでいるが、もうやめにしようと思う。一刻も早く示談をしなければならない。
嫁に隠していたカップラーメンを食べられた程度のことでキレてはいけない。カップラーメンはせいぜい2百円。それ以上のストレスを受けると勘定が合わない。
おっぱい揉ませてもらえなくても、悲しんではイケナイ。おっぱいなんて5千円も払えば怪しいお店でいくらでも揉ませてもらえる。5千円以上のストレスをおっぱいを揉ませてくれないことで抱くのは割に合わないのだ!
でも、やっぱりおっぱいを揉みたいので、振り込んでもらった修理代を握りしめ、どこかのお店に突撃しようかと楽しい想像をする今日この頃である。
おっぱい揉みたい。