幼稚園の参観日に梅雨の晴れ間から光が差した件
空は朝から雨模様。慌ただしく身支度を済ませて、嫁、娘氏と手をつないで幼稚園に向かう。本日は、参観日ナリ。
ワタクシは自営なので、娘氏のイベントごとには必ず参戦という皆勤賞で、父親としては優秀な方である。今回の参観も当たり前のように参戦である。
平日のイベントはパパの参加がほとんどなくて、クラスで来ていたパパがワタクシ一人だったなんてこともあった。が、本日は見慣れないパパもチラホラいた。
娘氏の近くでヘタクソな歌を聞きながら、ワタクシは他のパパ達の様子を観察し始めた。だいたい、アラフォーのパパばかりだが、やはりワタクシも含め
- 腹が出ている。
- 酒や疲れで顔がむくんでいる。
- 睡眠不足で目の下のクマが消えていない。
- メンタルや身体の不調で表情があまりない。
など、特徴を見つけて遊んでいた。
普段から育児に参加していないパパは、子どもとの接し方がぎこちないのでよくわかる。慣れているワタクシのようなパパは、子どもが絵を描いたり折り紙を折ったりして「みてみて!」と持ってくると、褒めてあげる。
ぎこちないパパは、せっかく子どもが何か持ってきても、「早く座りなさい!」とか、”見て”あげることをしない。子どもは親に見てもらうのが大好きだ。だから、何か持ってきたらまず見てあげることが大事だ。
参観日に後ろにいる親をチラチラ見て子どもが嬉しそうにしている表情はとても面白い。カメラなんか構えず、”見て”いることをアピールしてあげると子どもは喜ぶもんだ。昔を思い出してみるといい。
ワタクシは、毎度のことながらイベントにも送迎にもやって来るので、顔見知りのお友達も多い。娘氏以外にも、手を振ってあげたりしなくてはならないので忙しい。自分の父親を見ずにワタクシを見て来るお友達がいたのだが、なんだか複雑な気分になった。
ワタクシも勤め人をしていたので、自分と同じ年頃のパパ達がどんな状態なのかよくわかる。仕事は忙しいし、責任は増えるし、ローンは終わらないし、嫁はやらせてくんないし。表情がなくなるのも仕方ないと思う。
ワタクシのようにレールを外れて、貧乏ながらも雇われないような生き方を選んだパパも中にはいるようだが、やはり白髪の数は有意差が見られる気がする。そして、必ずといっていいほど、アウトローな感じのパパは元気だ。
どっちが正解なのかはわからないが、ワタクシは自分の選んだ道も悪くはなかったような気がした。
尊敬するD・カーネギー先生は、名著「道は開ける」の中でこんなことを書いている。
「人生には目標とすべきものが二つある。第一は自分の欲するものを手に入れること、第二はそれを楽しむことである。数ある人間のうちでも、第二のことを実践できるのは賢者だけでしかない」。
「道は開ける」216ページより引用
ワタクシはデキちゃった婚だったが、誰しもが望んで子どもを授かったと思う。その時点で第一の欲するものは手に入れたことになる。 だが、仕事に追われて第二の育児を楽しむことをできていないパパが多いように思う。
というか、毎日、あまりにも子どもと接していないので、どんな風に楽しめばいいかわかんないといった感じだろうか?
ワタクシのトーチャンも土日が仕事だったので、子ども時分に遊んでもらった記憶がほとんどない。あれよあれよと大きくなって、中学生くらいになるともう友達と遊ぶのに夢中で、トーチャンなど見向きもしなくなる。
そうして、せっかく子どもを授かったのに、楽しむことをしないままボーナスタイムは終了となる。家庭を守るために仕事を休めないのもよくわかるが、実際のところ会社にパパの代わりはいくらでもいるし、休んだところで誰も気にもしない。
だが、我が子の父親は自分以外に代わりがいない。ワタクシは、社畜としてならされていたので、こんな当然のことに気付くのに時間がかかってしまったようだ。
勤め人をしていた頃、子どもの参観日だからと言って会社を休むオジサンは皆無だった。もしホントにそれで休もうとしたら冗談でしょ?と笑われるような会社だった。
それでも一応社員が何万人もいるような上場企業だったので、大体どこも似たり寄ったりだろう。
そうして歳を重ねたオジサン達は、家に居場所がなく会社でなんとなく残業して時間を潰していた。そんなオジサン達を眺めながらワタクシは絶望感を味わっていた。
この駄文を参観から帰って綴っている今、ワタクシは第二の楽しむことを実践している賢者の気分でいる。念のために言うが自慰行為をしたワケではない。
忘れていたがワタクシは手に入れた愛する嫁もいる。最近、楽しみ過ぎて腹が大きくなってしまい、さっぱり楽しんでいない。もっと二人で楽しまなきゃイケナイ。
ワタクシは賢者だが社会的には不適合者かも知れない。それは今に始まったことではない。だが家庭では夫適合者でありたい。ふと空を眺めると梅雨の晴れ間からワタクシの人生に光が差している...そんな気がしたアンニョイな午後。