嫁を動かす

HOW TO WIN WIFE AND INFLUENCE PEOPLE

牛スジカレーをよく噛んで飲み込んだ件

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日増しに強くなる日差しに対抗するため、窓に3分の1の純情な感情でサンシェードを掛ける。

 

これがホントのシャンシェイド。

 

という、ギャグを産後でイラついている嫁にプレゼントしたのだが、シャムシェイドやろ!とツッコまれた。そんな何でもない毎日が続いている。


大仕事をやってのけた愛する嫁も、ボチボチ体調が戻って来たようだ。余裕の出てきた嫁氏は、珍しく自分でカレーを作ると言い出した。

 

嫁が買い物に出ると、BBA(姑)が仏間に放置された大量のベビー服をキレながら紙袋に詰め込み出す。この服は、1か月以上前から放置されている。

 

6月23日の記事↓

速報で整理をし始めたと書かれているが、やはり1日だけ整理をして、その後、嫁は何もしなかった。

 

だからと言って、ワタクシはBBAのようにキレて自分で手を下したりしない。結局、BBAの躾が悪かったから嫁は片付けができない人になってしまったのだ。責められるべきはBBAである。

 

適当に詰め込まれた服は、ワタクシがキレイに掃除した部屋にゴミのように積み上げられてしまった。それを整理してクローゼットにしまうのはワタクシである。


そういえば、BBAは先日、ジャパネットたかたで掃除機トルネオを買った。個人的にジャパネットに電話してモノを買う人を初めて見たので感動したが、そんなことはどうでもいい。

 

古い掃除機が不幸にもワタクシが使っている最中にぶっ壊れてしまったので、ワタクシにはもう使わせないらしい。BBAが取り替えなきゃイケナイゴミ袋を、満タン状態のまま何年も使い続けて酷使したのが原因なのだが、知らぬが仏である。

 

トルネオの説明書も一切読まないまま、エコモード♪とか言いながら使っているので、どうせまた壊してしまうのだろう。知ったこっちゃない。そもそも、BBAが掃除機をかけるのは、自分の部屋とお盆に坊さんが来る前の仏間だけなのだ。


BBAの自己中心的な掃除によって仏間は一瞬キレイに片付いた。そこに、遊ぶスペースを見出した娘氏がカードゲームを並べてさっそく遊び始めた。

 

すると、BBAは娘氏が遊ぶ前からおもちゃを片付けろと叱り始めた。「まだ遊んでない!」と真っ当な反論をする娘氏に、掃除をしたばかりだと自分の功績を主張するキレる老人。

 

地獄絵図を眺めながら、あの世で仏さんも悲しんでいるだろうと遠い目になった。が、仏の心を持つワタクシは、「キレイな色の掃除機ですね☆」と掃除機を褒めておいた。


そんな母と娘をよそに、嫁氏はカレーを完成させた。気分を新たに夕飯を囲むアンニョイな家族。

 

だが、スグに異変に気付く。カレーに牛スジが入っているのだが、ガムみたいになって噛み切れない。どうも、嫁がクックパッドの情報を自己流の解釈で、牛スジを煮込まず鍋にブチ込んでしまったらしい。

 

ガムになった牛スジが歯に挟まって阿鼻叫喚の食卓。無理やり飲み込もうとするが、ノドに詰まって命のキケンが迫る。


棺桶に片足を突っ込んでいるBBAは、キケンを未然に察知してお皿からすべての牛スジを鍋に戻す。そういうところはしっかりしている。

 

ワタクシは、口に手を突っ込んで牛スジを引っ張り出しながら、「牛スジからなかなか良いダシが出ているね☆」とダシを褒めておいた。

 

そういえば、尊敬するD・カーネギー先生の名著「人を動かす」に肉についてのこんな記述がある。

 

なぜ、むちのかわりに肉を、批評のかわりに賞讃を用いないのだ?たとえ少しでも相手が進歩を示せば、心からほめようではないか。それに力を得て、相手はますます進歩向上するだろう。

 

「人を動かす」295ページより引用

なるほど。最近、問題が発生しないと思っていたら、やはり日々の自己啓発の甲斐あって無意識レベルで先生の教えを実践できていることに気付いた。

 

今回の牛スジカレーも味を良くするために、嫁が見ていない時に灰汁を取ったりして面倒を見ていたのだが、まさか牛スジをそのまま鍋に放り込むとは思わなかった。ワタクシの反省点である。

 

が、果敢に未経験の食材に挑戦した嫁には心からの賞讃を贈りたい。ウチの嫁はやればデキる子なんです。

 

BBAは、少ない年金の中から掃除機を買うお金を捻出できたこともスバラシイと思う。できればキレイな色の掃除機を遺品として残してくれればうれしい。お礼に、言わぬが花というキレイな花を仏前に供えてあげようと思う。


D・カーネギー先生は、相手の心の中に、隠された宝物の存在を気付かせることができたら、別人を誕生させることすらできると説いている。

 

信じる信じないは自由であるが、ワタクシは先日、この目で嫁の腹から我が子が誕生する瞬間を目撃した。まさに別人宝物を同時に手に入れたワケだ。先生の教えはガチだった。

 

皆さまも憎しみの心は、ガムとなった牛スジのように無理やり飲み込み、キレイな花を探しに行くことをオススメする。そう、3分の1くらいの純情な感情で。

批判によって人間の能力はしぼみ、励ましによって花開く。

 

D・カーネギー

 

 

1/3の純情な感情 - SIAM SHADE - YouTube